師走になりました

☆…でも、連日ストーブのいらない日々が続き、なかなか実感がわきません。私は仙台で看護学生の頃、ボランティアサークルに入っていました。寮間サークルというのがあって大学生たちと近くの身体の不自由な女性たちが職業訓練を受けている施設に週末訪問し、算数や漢字の練習、手紙を書いたり、おしゃべり等を一緒にするのです。ある時、片足が不自由で歩行時もちょっと杖を使うくらいの人から「普通に下から子供を産みたいけれど、この身体では無理だよね」と相談され、病院の分娩台に固定される姿を想像して「やっぱり無理かな…」と答えてしまいました。「あまり役に立ってないな」という思いとともに「何か方法はないのかな…」と考えてしまいました。

(「杜の都」仙台の写真です。2枚の出典元:http://korekuru.com/morinomiyako-sendai-100/

開業助産婦になって、分娩台のない介助をやってきてフリースタイルのお産に慣れた頃、市の母親学級の講師として「お産について」というところを受け持っていました。そこでフリースタイルのことも少し説明しました。その後、会場にいた妊婦さんから「それなら私も下から産めますか」と質問されました。その方はかなりの未熟児で生まれ、先天性股関節脱臼で歩くのも大変そうでした。私はフリースタイルで産める湘南鎌倉総合病院を紹介し、医師との話し合いにも同席し、フリースタイルの練習に付き合い、お産の時も一緒に過ごしました。もう20年くらい前です。分娩台でしたが、四つ這いでクッションを使ってとても上手に産めて、彼女は嬉しそうでした。私もスタッフも感動しました。「帝王切開の方が安全ですよー」と言うことは簡単ですが、彼女たちの中の「普通に下から産みたい」という希望は、その当時の彼女にとってはすごく大事なことでした。

☆私のところに「TENOHASI」というホームレスの人たちを支援している団体(特定非営利活動法人)の会報誌が届きます。助産師のクマちゃんが東京にいた頃、炊き出しや夜回りを手伝っていた団体で、私は最初「どうしてホームレスになるのかな」と不思議でした。でもその人たちは精神疾患や知的機能の障害を持つ人が多いということを聞き、それからは盆・暮に少しお金を寄付するようになりました。そして会報の「TENOHASI」を読んで、個人個人とても「こだわり」の強い人やアルコール依存の人たちに時間をかけて、裏切られても逃げられても支援している人たちにいろいろ教えられることがいっぱいです。TENOHASIはいつもお金に困っていますが、来年は特に大変なようです。今年も私の働いたお金をTENOHASIに少し送れることを幸せに思います。クラウドファンディングも始めたようです。会報のWeb版もあります。

☆….そして、来年もよろしく御願いいたします。

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