母乳信仰とミルク信仰

私が子供の頃(今から60年以上前)、「赤ちゃんコンクール」というのがありました。たしか、大きくて立派な赤ちゃんが表彰されて新聞に載っていました。数年でなくなりましたが、ミルクで太った赤ちゃんが多かったので、どこからか「横やり」が入ったのだと思います。

そのころ、アメリカやヨーロッパの映画をよく見せられましたが、”お母さん”は胸をはだけないで、ボトルでミルクを飲ませているのを見て「おしゃれ」と思いました。当時、私のまわりのお母さんは胸をはだけて乳くさい匂いをさせながら授乳していました。私の母は生活のために忙しく、すぐ上の兄も私も弟も、17歳年が違う異母姉に赤ちゃんの時は育てられたので、私は母乳不足で、弟はミルク太りでした。兄(s19年生まれ)などはヒモノみたいだったそうです。姉は「弟の時はミルクがあってよかった」と言っていました。貧しい時代はミルク信仰は切実でもありました。

その後「モリナガ」のヒ素ミルク中毒がおこり、また、5つ子ちゃんのうちの1人が腸炎を起こし、大変な時に岡山大学の山内逸郎という今では伝説的な先生が、鹿児島大学に呼ばれて母乳(初乳)で腸炎を直し、5つ子ちゃんは全員無事にママのところに退院することができました。これは数年「ビッグニュース」でした。(のちに「日本母乳の会」につながっていきます。)今でも小さい赤ちゃんの先生たちは母乳を大事にしていると思います。

私が子供を産んだ昭和50年代は、病院はミルク会社からミルクを無償提供されていましたので、「出産日数×10+10ml」(根拠は不明)ということでミルクを足していました。退院の時はミルクは60ml飲んでいるという状態です。よっぽど溢れる程のおっぱいが最初から出ないと、だいたいの人は混合かミルクになってしまうという仕組みです。

私のところでは、最初出ない時はちょっとミルクを足したりしますが、おっぱいが張ってきたら、お母さんに二、三日頑張って吸わせてもらって、ミルクは最小限に。体重が増えてきたら減らすようにしています。大体の人は1ヶ月過ぎくらいには母乳だけでいけるようになります。ミルクは3時間ごとというのではなく、アバウトに足すようにしています。(赤ちゃんは賢いから)でも乳首が扁平だったり、小さすぎたり、大きすぎたりしてうまくいかない人もいます。張っていて痛いのに吸ってくれないというのが一番かわいそうです。どうしても分泌の少ない人もいますが、離乳食を食べる頃には折り合いがつくようです。

そんなに苦労しなくても母乳ライフを継続できる人はともかく、「がんばって」いる人は「母乳信仰」ということでしょうか。多分「信仰心」でやっているわけではないと思います。「本当におっぱいが出ない」と思っている人が、まわりから「母乳がいいよ」と言われて苦しんでいるのではないでしょうか。今は、年齢も高いお母さんも増えて、ただでさえ疲れていて、自分の思うようにいかない育児にフラストレーションもたまっている…それでミルクを与えることで解決するなら嬉しいことです。

「母乳信仰」も「ミルク信仰」も世の中の大きな流れからの影響があると思います。そんな言葉にふりまわされず、自分は、赤ちゃんは、どうしたら良いか、ママ自身に考えてもらいたいです。そして迷ったら私たちmidwifeに相談してね(最後は宣伝)。

4月、5月と行事の多い月でした。毎週ごとに別のイベントがありました。4月27日の「さんばテント」は雨でしたが皆さん大勢来てくれました。5月にかけての10連休は、お産のための人の手配で皆んながんばってくれました。連休中に5人の赤ちゃんが生まれました。昨日(5月11日)自宅の人が生まれて、これで一旦小休止。5月後半に8人控えています。今週は少しヒマかな。でも週末から大潮です。家のまわりは緑がいっぱい、気持ちの良い季節です。4時過ぎには野鳥の鳴き声で朝が始まります。

(齋藤弓子)

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